出典種別 | 兵士の回想録等 |
---|---|
現在の地域情報 | 東カリマンタン州 バリクパパン |
資料にある地域情報 | ボルネオ島 バリクパパン |
慰安所があった時期 | 1941年 |
記載内容 | 「設営隊の主計長を命ず」という。設営隊といわれてもピンとこなかった。そこで私は「設営隊とは、なんでありますか」と問い返した。「敵の飛行場を占領して、それを整備し、味方の飛行機を飛ばす任務をもった部隊だ」と、参謀長は厳粛な顔をして説明した。・・・「11月29日に出港しろ」という。私は驚いた。あと1週間しかない。まず私は、海兵団に兵隊をもらいにいき、部隊を編成した。また、呉の海軍建設部に集結しつつあった3千人の徴用工を組織する任務もあった。そして、必要な糧食、資材、弾薬、それに零戦や一式攻撃機を飛ばす莫大なガソリン、爆弾を調達して、これをわずか7日間に、4隻の輸送船に満載したのである。これはまさに大事業であった。・・・ 3千人からの大部隊だ。やがて、現住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。 |
証言者 | 中曽根康弘 |
証言者属性 | 海軍主計大尉 |
部隊名 | |
資料タイトル | 終わりなき海軍 |
著者、公文書発信者など | 松浦敬紀編著 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1978.6.15 |
発行所 | 文化放送開発センター |
ページ | 98 |
出典備考 | 中曽根康弘「二十三歳で三千人の総指揮官」 |
備考 | バリクパパンは東カリマンタンの海岸沿いにある。 |