出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 東カリマンタン州 バリクパパン |
資料にある地域情報 | ボルネオ バリクパパン |
慰安所があった時期 | 1942年11月 |
記載内容 | 「早く帰りたい」の声のもとは、困苦に耐えた1年の後、ローソクから電燈の日常に戻って、余暇の消化が余りに味気なく「無いないずくし」の環境の中で、ブランデーと椰子酒とPだけで、それも上層部は日本人、一般は原住民で数も少なく、結局「ホームシック」になっていると解し、手近にあり出来る事からと考え、遊休図書の募集、酒保で日本風まん頭作りをやって好評を得たが、その頃内地から朝鮮Pさんが来る報があり、日本語が通じるとあって待たれた。私は所管上その設営から開業までタッチした。・・・ 「かえり木2号」に婦長K・Mさんが寄せられた文の1部を転載します。・・・ 下々の私達には些細な事にも、少しの甘い言葉にも、見付かればたるんでると気合いを入れられましたが、上層部の方は、誰もトガメる人が居ないのですから、至極当然の如く女も公用として宿舎にも入れましたし、慰安所も、日本語の通じる日本女性、下の人々はインドネシヤ女が相手でしたから、日本人としての差別を見るようで、自分と無関係なのに嫌やな思いでした。それにあの肌の黒さと意思も充分通わぬでしょうに、何故行かれるのかと、不思議でなりませんでした。 |
証言者 | 中沢利彦ほか/婦長K.M |
証言者属性 | 日本軍兵士/従軍看護婦 |
部隊名 | |
資料タイトル | 想い出の軌跡 1942~1946 |
著者、公文書発信者など | 中沢利彦 栗原豊二 畑栄一 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1977.8.15 |
発行所 | 私家版 |
ページ | 9, 25 |
出典備考 | 『季刊戦争責任研究 第3号』 日本の戦争責任資料センター 1994春 |
備考 | バリクパパンは東カリマンタンの海岸沿いにある。 |