出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 東カリマンタン州 バリクパパン |
資料にある地域情報 | バリクパパン |
慰安所があった時期 | 1943年8月 |
記載内容 | ボルネオの日本軍の司令部のあったバリクパパンという町には料亭もあったし、大きな慰安所も3カ所あった。日本がボルネオを占領した直後に建てたものだろうと思う。造りは学校の校舎のような具合だったな。仕切りはアンペラ1枚。床も同様。士官だけが入れる慰安所は日本人の慰安婦が10人ほどだが居たが、この他に下士官と兵が入る慰安所には70人からの慰安婦がいた。みんな原住民だな。あの周りにどれぐらい慰安婦がいたのか詳しいことは分からないが、おそらく数百人はいたろう。 |
証言者 | 証言者不明 |
証言者属性 | |
部隊名 | 第22特別根拠地附属飛行場・水上基地隊 |
資料タイトル | いま老人たちが重い口を開く 戦火の記憶 |
著者、公文書発信者など | 佐賀純一 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1994.12.20 |
発行所 | 筑摩書房 |
ページ | 206 |
出典備考 | 本資料は筑摩書房1994.12刊。全体を読み比べていないが、本書を文庫本化したのが、a-3577の資料であろう。『戦争の話を聞かせてくれませんか』新潮文庫2005.8刊。たぶん同一の資料だが、本資料ではバリクパパンをとり、a-3577ではバンジェルマシンをとっている。 |
備考 | バリクパパンは東カリマンタンの海岸沿いにある。 |