出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 東カリマンタン州 タンジュン・レデップ |
資料にある地域情報 | タンジョンデレブ |
慰安所があった時期 | 1945年6月 |
記載内容 | 20年6月中旬、ブラウ地区に集結した民生部隊の中から、撤退後のプロンガン方面の偵察とブラウ河上流地区の民政状況把握を使命として、行動隊、謀宣班を編成し、この地区に派遣することゝなった。・・・行動は隠密で迅速でなければならないと、空襲警報の出る中を街に行き、宣撫物資としてダヤク族が喜ぶ、ビーズ玉や、装身具、若干の医薬品と衣料品、それに食糧の米と塩等を調達して2隻のプラウに積み込む用意を整えた。そしてその夜、タンジョンレデブの郊外にあった海軍慰安所を借り切って団結式を挙げることになった。海軍軍人専用の慰安所の使用を知事を通じて警備隊長に申し入れたところ、即刻専用OKの許可が出た。われわれは、万一の場合なども考え、若い独身隊員に悔いのないよう、そして裸の付き合いの中から、生死を共にする結束を固めようとの意図で、慰安所の使用を申入れたのだが、この考えは知事にも隊長にも以心伝心したようであった。 |
証言者 | 大室政右 |
証言者属性 | 民政部職員 |
部隊名 | |
資料タイトル | 「死線を越えて」ボルネオ縦走記 |
著者、公文書発信者など | 元タラカン州知事庁有志ボルネオ縦走記編集所編集所 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1986.9.20 |
発行所 | 元タラカン州知事庁有志ボルネオ縦走記編集所編集所 |
ページ | 68 |
出典備考 | 大室政右「今だから言えること」 |
備考 | 東カリマンタン州境の南の、東西に流れる大きな河(ケライKelai河)の河口から約40キロ内陸に入った位置にタンジュンレデブTandjungredebがある。ちょうど河が二つに分岐する位置である。 |