証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報西カリマンタン州 ベンカヤン県
資料にある地域情報ベンガヤン
慰安所があった時期1942年4月
記載内容4月18日
朝食当番、8日に一度だが仲々億劫なものだ。・・・午后はベンガヤン行きだし、結局休めない。・・・今日のベンガヤン行きは駄目だ。昨日、丸山一水が街で遊んでる所を中隊長に発見され中尉を受けてより、絶対に街へは出さない事になったのだ。もう望みはなくなった。でもあと2,3日運んだら終了するだろう。慰安所の女も4名来て居た。ベンガヤンの兵舎に兵隊と一緒に寝起きして居る。開所もあと2,3日の由。一度くらいは行かれるかな。夕食後、風邪でウザウザするので直ちに寝る。12時からまた当直なのだ。ニュース一つ。本部からベンガヤンへの電話の盗み聞き。東京・横浜へ9機、名古屋・神戸へ2機、何処よりともなく敵機空襲、焼夷弾を落とせしも被害なく、敵機は撃墜せし由を報ぜらる。
証言者腰川妙子の父
証言者属性日本軍兵士
部隊名
資料タイトル南海に散った父の戦争日記
著者、公文書発信者など腰川妙子
公文書宛先
発行日1992.12.19
発行所私家版(千葉県印旛郡)
ページ168
出典備考
備考 『大東亜南方圏地図帖』のボルネオの西海岸から少し入った位置にベンカヤンがある。ポンティアナの北方である。現在の地図を見ると、ベンカヤンKabupaten Bengkayangは海岸からサラワクに接する地域に至るまでの細長い範囲である。この中のKecamatan Bengkayang(ベンカヤン郡)はベンカヤン県全域のほぼ中央にある。このベンカヤンの中心部の北西直ぐの位置にレドLedoがある。たぶん証言者はここに駐屯し、ベンカヤンに出張していたのであろう。
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