出典種別 | 被害証言 |
---|---|
現在の地域情報 | カリマンタン島 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | ボルネオ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 日本人が工場での良い仕事があると勧めるので、村の娘15 人一緒について行きました。下関の工場で1ヵ月過ごした後、広島から船でニューギニアのビスマルク諸島ラバウルに着き、トラックで運ばれた先は、ヤシの木のベッドと毛布のみのある日本軍慰安所でした。抵抗すると暴力を受け、何十人もの相手をさせられました。爆撃がひどくなると、ロンタイブ、ユリナ、ボルネオ、そしてマニラへと移動させられました。マニラでは病院の仕事もさせられました。 |
証言者 | ソン・パニム |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 慰安婦は語る<英語> Comfort women speak : testimony by sex slaves of the Japanese military |
著者、公文書発信者など | Sangmie Choi Schellstede (ed.) |
公文書宛先 | |
発行日 | 2000 |
発行所 | Holmes & Meier |
ページ | 87 |
出典備考 | |
備考 |