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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報カリマンタン島 地名特定不可能
資料にある地域情報ボルネオ島 西海岸
慰安所があった時期未記載
記載内容戦線は後退に次ぐ後退で慰安婦の居る所が無くなったのであろう5名の慰安婦を預かった。1名はジャバで捕らえられたとかで背は高く色白の美人の白人であった。他の4名は現地人であった。・・・お前も少々お世話になったのではないかと思う人もあろうかと思うが、キナバル山を越えて来た兵隊は皆マラリアのため腹ばかりふくらみ、肋骨は出、手足は骨ばかりで、アフリカの難民を見ると同じ様な姿でそんな気力はなかった。慰安婦の必要だったのは西海岸に駐屯していた兵隊達だったろう。・・・彼女達にこの兵隊に手荒い事をさせられたと指さされた兵隊はラブアン島に送られて一命を落とした者も多かった。・・・捕虜収容所の生活の中で一番嫌だったのが首実検だった。全員整列の号令がかかる。一列に並ぶ、GHQにつき添われて原地人や華僑等がやってくる。彼等にこの人と指さされたら刑場行きだ。問答無用、言い訳無用で連れて行かれる。・・・先に預かった慰安婦達もやって来た。この慰安婦達のために多くの兵隊がラブアン島に送られた。・・・慰安婦達5名もやって来た。ジロジロ見ていたが暫くしてジャバの女が言った。パンジャクテレマカシー(大変に有難う)これで助かったと思う。
証言者今村勇
証言者属性
部隊名
資料タイトル悠久の平和を祈る 嗚呼キナバル山死の行軍(ボルネオ島従軍記)
著者、公文書発信者など今村勇
公文書宛先
発行日1994.3.1
発行所私家版(下伊那郡)
ページ54-55, 59
出典備考
備考
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