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資料の詳細

出典種別 被害証言
現在の地域情報南東スラウェシ州 ケンダリ
資料にある地域情報スラウエシ島 ケンダリ
慰安所があった時期1942年
記載内容1941年末、日本人に「南洋にある日本軍の食堂で、調理師や給仕として働けば3倍の給料がもらえるので行きなさい」と言われたのです。私とお母さんの他に3人が応募しました。1人200円が先に渡されたので、お父さんが400円を受け取りました。・・・着いたのはインドネシアのケンダリにある「753航空隊」でした。ここはジャングルの奥地です。大きなココナツの葉でふいた家に入れられ、1人ずつ部屋が割り当てられました。ここでようやく、だまされて「慰安所」に来たとわかったのです。「国のためにがまんしろ」と言われ、借金もあるので従うしかありませんでした。・・・ここには日本・朝鮮・インドネシア・台湾・沖縄の女性がいました。私は16歳で一番年下でした。日本女性は下士官以上、私たちは兵隊、インドネシアの女性は軍夫(軍隊で雑役をする人夫)と相手が決まっていました。日本女性は10人以上、朝鮮女性は20人近く、沖縄の女性は10人近くいました。お金は6割を自分たちが取り、4割を持っていかれました。スラバヤに行く船が空襲にあって5隻沈みました。私は数時間海に漂っていて救出されましたが、3人の朝鮮人女性が死んだのです。火傷を負った私は、サイゴンの海軍病院に3カ月間入院しました。
証言者河口ミサ子(仮名)
証言者属性台湾人被害者
部隊名753航空隊
資料タイトル破られた沈黙-アジアの「従軍慰安婦」たち-
著者、公文書発信者など伊藤孝司
公文書宛先
発行日1993.7.20
発行所風媒社
ページ123-125
出典備考1988年婦援会調査では、仮名17。
南洋の軍部の売店で働くということで母親と他の女性計5人で高雄から出た。沖縄女性10数人と胃一緒だった。サイゴン、シンガポール、ジャカルタ、泗水にそれぞれ1泊ずつ停泊し、モンガサルラで停まった。翌日、船が出て、運河から何時間かジャングルの誰も住んでいないところを進んでいった。
753部隊ともうひとつはっきりしないがS-29(20いくつ)だった。ここで下船して椰子の葉で造った大きな家に入った。一人一部屋ずつあてがわれ、ここでだまされたことを知った。ケンダリには飛行場があった。沖縄の女性もいた。
備考 1988年婦援会調査では仮名17。
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