出典種別 | 被害証言
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現在の地域情報 | 南スラウェシ州 エンレカン |
資料にある地域情報 | チャロック |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 学校からの帰宅途中、日本兵に銃で脅され、トラックに投げ入れられました。チャロックに着くと一人ずつ、竹でできた家の部屋に入れられ、何人もの日本兵に強かんされました。ひどい扱いでした。医者のカワサキが注射をしました。サロン(腰巻き)が与えられましたが、とても寒かったです。戦争が終わって解放され、2日間歩いて家に帰りました。家族は「日本兵と寝た女は汚い」と言って、受け入れてくれませんでした。 |
証言者 | ヌラ |
証言者属性 | インドネシア人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 第13回wam特別展カタログ『「アジア解放」の美名のもとに』 |
著者、公文書発信者など | アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2016.12 |
発行所 | アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)編 |
ページ | 32 |
出典備考 | 鈴木隆史による調査 |
備考 |
チアロックの位置。グーグルマップにチャロック、チヤロックの地名見えず。鈴木隆史氏からチャルックCarukであること及び慰安所の位置をご教示いただいた。ルラRuraに日本軍の駐屯地があり、その北方700mに3軒の慰安所があったという。
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