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資料の詳細

出典種別 公文書・軍関係資料等
現在の地域情報東ヌサ・トゥンガラ州 フローレス島
資料にある地域情報フロレス
慰安所があった時期1944年7月
記載内容日本占領時代、私は母と共に「スマラン」のmangistan2 No6に住んでいたが、貧乏の為家具や衣類を売り払ひ生活の資にしていたが、愈々どうにもならなくなって、Heevnskactの「バー」に勤めるやうになった。・・・然し、やめた後警察へ出頭を命ぜられて、行ってみると、其処には約150名の婦人達が集まっていた。我々は警察へ一晩とめられ翌日にはSplendidホテルへ自動車で連れて行かれて、検査を受けた。15-4-’44には「スラバヤ」へ連れて行かれ、此所に2ヶ月居た後、Flores島へ送られて、45年5月迄慰安所に入れられた。45年5月には病気の為「ジャワ」へ帰され終戦迄家に居た。・・・我々は乗用車でSplendidホテルへ連れて行かれ、其所の経営者だった日本人の夫婦に「ホテル」の裏の一室へ連れて行かれた。其の場には約20名の娘が居たが、名を憶えているのは□、□、□、□、□、□、□だけである。・・・「マドラ」や「バリ」に数回碇泊した後、約14日後に「フロレス」へ着いた。藤堂(後に彼は其の慰安所の主人であることが判った)は市川と共に我々を、部屋が沢山ある大きな建物に連れて行った。1週間許り我々はその儘にしてをかれたが、それからは訪客があった。之等は皆日本の兵隊であった。・・・普通私は最少1日に5人は客をとらねばならなかった。彼等の望みに従はないと、蹴られたり、殴られたりした。特に藤堂はこの方の専門であった。我々は1人1人小さな部屋を与へられていた。外出することは厳禁されていた。
証言者J.H(23歳)
証言者属性オランダ人被害者
部隊名
資料タイトルBC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/尋問調書
著者、公文書発信者など
公文書宛先
発行日1946.12.19
発行所
ページ
出典備考国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_098
備考 被害者名7名をここでは□で表記した。梶村太一郎、村岡崇光、糟谷廣一郎『「慰安婦」強制連行-〔史料〕オランダ軍法会議資料×〔ルポ〕私は”日本鬼子”の子-』金曜日、2008.6.6、「フロレス島事件 宣誓尋問調書 資料A」155-163ページにオランダ語からの翻訳あり。
※慰安所マップの地点としては反映させていない。
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