出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 東ヌサ・トゥンガラ州 フローレス島 |
資料にある地域情報 | フロレス |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | 14-4-’44無記名の召喚状をうけ、翌日姉Tilly(当時19才)と共に翌日警察へ行く。約100名中欧人婦人は約20~30名、他は「インドネシヤ」人に支那人数名あり。・・・Splendidホテルでは白衣を着た医師らしいのが1名と、他に日本人の兵隊が2名いた。「ニッケル」器具を湯に浸してから、突き込まる。(出血に触れず)部屋の他の側から出されて姓名、職業、住所を記帳さる。20名のみ残さる。・・・「ヤマキサン」、「ノサキ」、「市川」の3名に絶えず監視を受く。市川が50盾呉れた時、我々5名(同室者、L.S、J.B、V.d.F、V.H)は之を拒んだら、市川は最年長者を殴ると云ひ、L.S(最年長者)は殴られた。その晩逃亡を企てたが、入口は銃剣づきの兵隊に警備されていた。翌日「スラバヤ」へ。・・・或朝Tandjong Priokから出帆。3回目にFloresに到着。「スラバヤ」で2名逃亡、1名病気の為に残留。Floresに於ける慰安所にては、午前中1.50盾、午後2.00盾、夜3.00盾、一晩18.00盾。「サック」は使用せねばならぬことになっていた。・・・多くの客は「サック」を用ひたがらぬので「トドサン」に訴へたら、殴られた。「トドサン」には私は何度も虐待された。午前中の20名(兵)と午後の2名(下士官)、朝迄の1名(将校)は義務で、夜の客が数時間で帰ると「トドサン」は別の客を連れて来た。 |
証言者 | E.J.W.H(22歳) |
証言者属性 | オランダ人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/証言 被害者E.J.W.H |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1948.8.17 |
発行所 | |
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出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_107/106-328 24653/R/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
備考 |
250万分の1東印度諸島4号の地図のSOEMBA島の北にある細長い島がFLORES島である。 旧地図は次を参照のこと。 http://chiri.es.tohoku.ac.jp/~gaihozu/viewer/index.php?ghzno=TH011423 |