出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | 東ヌサ・トゥンガラ州 フローレス島 |
資料にある地域情報 | フロレス |
慰安所があった時期 | 1944年 |
記載内容 | 14-4-’44の午前身分証明書の検査があるからと云って呼び出された。100名以上の人々が既に集まっていた。・・・欧人婦人は20~30名許り居た。・・・白衣の日本人は「ニッケル」の器具をとり上げ消毒してから、私の生殖器に入れた。中で開けられたやうに感じた。激痛と出血。私を含む20名のみが残され、他は帰宅を許された。・・・それから「スラバヤ」を経てFloresへ送られ、45年6月私は妊娠の為「プラウ」で「ジャワ」へ帰った。・・・Floresでは「バンドン」から連れられて来た1団の婦人の娘達と会った。その中の1人で16才になるD.Mから聞いたところでは婦女等は「チモール」へ連れて行かれるとのことであった。 |
証言者 | L.M.M夫人(23歳) |
証言者属性 | オランダ人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | BC級裁判(オランダ)/バタビア裁判 106号事件/証言 被害者L.M.M夫人 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
発行日 | 1948.8.25 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 国立公文書館蔵/wam公文書サイト:J_J_109/106-330 24717/R/参考資料:強制動員真相究明ネットワーク刊『BC級バタビア裁判・スマラン事件資料』2014年8月20日 |
備考 |
250万分の1東印度諸島4号の地図のSOEMBA島の北にある細長い島がFLORES島である。 旧地図は次を参照のこと。 http://chiri.es.tohoku.ac.jp/~gaihozu/viewer/index.php?ghzno=TH011423 |