出典種別 | 被害証言 |
---|---|
現在の地域情報 | 東ヌサ・トゥンガラ州 フローレス島 |
資料にある地域情報 | フロレス島 |
慰安所があった時期 | 1944年4月 |
記載内容 | 1944年4月のある日のこと、18歳になっていたマルタが品物をもって売りにいく途中、突然横に車が止まり、憲兵が2人降り立った。・・・兵士たちはマルタをつかまえて。車に押し込んだ。彼女が連れていかれた建物には、ゆうに100人くらいの少女や若い女性たちが集められていた。みなマルタと同じように通りで憲兵につかまえられたか、軍が委託した斡旋業者に連れてこられたのだった。・・・マルタは30人くらいの少女たちと、昔はホテルで今は売春宿になっているところに連れてこられた。彼女たちはそこで、日本兵数人に頭のてっぺんから爪先までじろじろ眺められて検査された。あまり魅力的でないと判断される幸運にめぐりあった少女たちもいたが、マルタは「合格」とされ、選抜された20人ほどのひとりに入った。・・・翌日、汽車に乗せられ、東ジャワへ輸送された。・・・そこで貨物船に乗せられ、看板にマットを敷いて寝かされた。・・・5日間の航海が終わって目的地に到着すると、そこはフロレス島だった。上陸すると、いくつかの兵舎が並んでいる海岸のそばの建物に連れていかれた。そのときはじめて、この遠出の目的が日本兵を楽しませることだと彼女たちにははっきりわかった。「楽しませる」というのがどういう意味か、はっきり説明された。幼い少女たちはわが耳を疑った。これまでに性体験のある人は彼女たちのなかにひとりもいなかった。・・・その日からは毎日のように、ベルトコンベアに乗せられたように何十人もの日本兵たちに犯され続けた。兵たちにはコンドーム使用が義務づけられていたものの、その規則はまったく無視された。・・・ある定期検診のとき、性病にかかっていることがわかり、ほぼ1年後、たえがたいこの生活に終止符が打たれることになった。もう使い物にならなくなった彼女は、妊娠後期の2人の少女たちと一緒に、地元の漁師が操る漁船に乗せられた。 |
証言者 | マルタ(仮名) |
証言者属性 | オランダ系被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 折られた花 日本軍「慰安婦」とされたオランダ人女性たちの声 |
著者、公文書発信者など | マルゲリート・ハマー |
公文書宛先 | |
発行日 | 2013.11.15 |
発行所 | 新教出版社 |
ページ | 61-64 |
出典備考 | 注:看板とあるのは甲板のことであろう。船の上面の床のこと。デッキ。 |
備考 |
250万分の1東印度諸島4号の地図のSOEMBA島の北にある細長い島がFLORES島である。 旧地図は次を参照のこと。 http://chiri.es.tohoku.ac.jp/~gaihozu/viewer/index.php?ghzno=TH011423 |