証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報マルク州 アンボン
資料にある地域情報アンボン
慰安所があった時期1943年8月
記載内容8月10日(火)時々スコールあり。ベンテンーラハーアンボン。
・・・若竹へ寄ってブラブラと水交社へ行きビール4本のみほとんど酔う。サッテを3人前ほど買い、若竹へ行く。入口に近い右手の座敷、和〈顔〉葉という天城君の女出る。それからもう1人、高崎少佐のひという何やらもくる。
8月12日(木)晴。アンボン。
・・・やはり今日も若竹へ行くという。本気に逆上せているらしくその辺一寸わからず。いやなれどともかく出る。(略)ネシアの〈P〉34軒見て歩く。感興なし。
9月6日(月)晴。ハロン(アンボン島)。
・・・月ばかり冴える人気のない白い道をブラブラ若竹のほうへ歩く。小生、いい機嫌にてなにか口ずさむ。心の一方、ここで空襲に逢ったらかなわぬな、などと考えている。細い横通りに陸軍の慰安所らしいところがある。テラッスにソファなど置き見る眼にも蕭酒としているので癪にさわり六分隊長と2人で押入って案内を乞うたが応答なし。
証言者久生十蘭
証言者属性
部隊名海軍報道員
資料タイトル久生十蘭「従軍日記」
著者、公文書発信者など久生十蘭
公文書宛先
発行日2007.10.4
発行所講談社
ページ303, 306, 372
出典備考注:若竹は料亭であろうか。「ネシアの〈P〉34軒見て歩く」とは、インドネシアの慰安所を3,4軒見学したということ。9月6日の日記は若竹の方へ行った後に「細い横通りに陸軍の慰安所らしいところ」があった旨記載されている。別の個所には、若竹はアンボン市内にあったとある。若竹の近くにあった陸軍慰安所や、インドネシアの「P屋」もアンボン市内にあったのであろう。十蘭手書きのアンボン島の地図が367pに掲載されていて、内湾に面してアンボイナとあるのがアンボン市街中心部であろう。内海岸沿いの東に「ハロン」とあるが、ハロンには十蘭の宿舎があった。
備考 10万分の1アンボン島の地図にHalongがある。現在の地図の同所にハロンHalongがある。アジア歴史資料センター:C08030732600の0899、0764(同一ページに二つのページが付されている)に、「アンボン概図」があるが、ハロングとあるのがハロンのことであろう。この資料にはラハ飛行場の地図もあり、十蘭はラハ飛行場から島外への行き来をしていた。ラハから対岸のアンボン市に渡り、アンボン市内(水交社別館)に宿泊していたようだ。
ちなみに旧地図は次を参照のこと。アンボン島の地図は二つに分割されている。
http://chiri.es.tohoku.ac.jp/~gaihozu/viewer/index.php?ghzno=TH008957
http://chiri.es.tohoku.ac.jp/~gaihozu/viewer/index.php?ghzno=TH008956
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