出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | パプア州 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | ニューギニア |
慰安所があった時期 | 1943年 |
記載内容 | 私は昭和18年(1943)から3年間、飛行場建設の仕事で、インドネシア、ニューギニアにいました。ここの慰安所にいた慰安婦は、現地のインドネシア人女性です。10人以上いたと思います。女性を駆り集めたのは軍で、無料慰安所でした。慰安婦たちが拘束されていたかどうかはよくわかりませんが、部隊が管理していたことは確かです。インドネシア人慰安婦たちは、1メートル半ほどの、布をつなぎ合わせたようなサロンを巻いていました。彼女たちは回教徒がほとんどでした。食料がなく、「今日もまだ誰も死なないか?」というのが、会話の始まりになっていました。木の中の澱粉を粉々にして絞り取ったものをいつも食べていました。慰安婦たちには、軍票で給料が支払われていましたが、食料を買うこともできず、結局使いみちがないまま敗戦と同時に紙屑になってしまいました。私は彼女たちが気の毒で、慰安所には行けませんでした。 |
証言者 | 通訳 70歳 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 従軍慰安婦110番 電話の向こうから出歴史の声が |
著者、公文書発信者など | 従軍慰安婦110番編集委員会編 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1992.6.15 |
発行所 | 明石書店 |
ページ | 62-63 |
出典備考 | |
備考 |