出典種別 | 被害証言 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | インドネシア |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 16歳の時、日本人の巡査に捕まり、警察署で母と別れ、インドネシアに連れて行かれました。慰安所には5-6人の娘がいましたが、住む所と普段の食事は別々で、つきあいはありませんでした。管理人も食事担当も軍人でした。5-6 ヵ月過ぎると爆撃が激しくなり、テントで生活しました。ひどい爆撃の際に逃げ出しましたが、高熱病にかかり、現地の住民に捕まったこともあります。米軍のトラックを止めて乗せてもらいました。1946年春だったか、マニラを経て釜山に戻りました。 |
証言者 | 金達先 |
証言者属性 | 朝鮮人被害者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 【証言調査】 ハルモニと共にする市民の会調査 |
著者、公文書発信者など | |
公文書宛先 | |
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出典備考 | |
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