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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報地名特定不可能
資料にある地域情報インドネシアの鉄道局のななめ向かい
慰安所があった時期
記載内容友人から中国に行かないかと誘われました。陸軍省で給仕を募集している。兵隊さんにお茶を出すだけの簡単な仕事だというのです。その事務所は、たしか、小石川にあったと思います。私は、インドネシアなら行ってもいいが、中国では気が進まないと断りました。あのとき中国に行っていれば、私も慰安婦にされたのかもしれません。その後、南方からの引揚者の集まりがあり、出かけていきました。そこで、インドネシアへの自費復帰ができるということを知り、すぐさま陸軍省に応募しました。実家に4人の子どもを預けて行きました。インドネシアに着いて軍政部に行きますと、私の仕事は、鉄道局の通訳に決められていました。鉄道局の斜め向かいに、インドネシア人の慰安所がありました。休みの日には、朝の8時頃から兵隊がズラーッと並んでいました。入り口に、映画館の切符売場のような窓口があり、兵隊はそこでお金を払ってナガグツ(コンドーム)を受け取り、なかに入っていきました。そこから少し離れた所に、中国人の慰安所もありました。もう少し奥にいくと、朝鮮人の慰安所もありました。日本の芸者をおいた料理屋もありました。料理屋に行くのは、青旗、赤旗、黄旗などのついた自動車で乗りつける大佐や中佐などの高級将校です。私が営んでいたホテルは軍に没収され、軍人倶楽部になっていました。いわゆる慰安所です。賃貸契約など一切ない、文字通りの没収でした。・・・敗戦後の8月17日、女性は陸軍病院に集まりました。・・・朝鮮の慰安婦たちは、一番汚い掃除や洗濯の仕事でした。誰もが、「朝鮮ピー」を人間扱いしていませんでした。朝鮮人慰安婦の中には、ヒロポン中毒が大勢いました。・・・あるとき病院で、1人の朝鮮人慰安婦が、「好きでこんなになったんじゃないよ。だまされて連れてこられたんだよ」とわめいているのを聞いたことがありました。
証言者鉄道局通訳 79歳
証言者属性
部隊名
資料タイトル従軍慰安婦110番 電話の向こうから歴史の声が
著者、公文書発信者など従軍慰安婦110番編集委員会編
公文書宛先
発行日1992.6.15
発行所明石書店
ページ60-62
出典備考
備考
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