| 出典種別 | 兵士の回想録等
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| 現在の地域情報 | ヤンゴン管区 ヤンゴン市 |
| 資料にある地域情報 | ビクトリア湖 |
| 慰安所があった時期 | 1943年 |
| 記載内容 | ビクトリア湖の近くに慰安所があった。日本人を含む東洋系の慰安婦が声をかけてくる。私はおくてで、その頃は異性の肌にはあまり興味がなく、まだ筆下ろしをしていなかった。お金は使い道を知らず、余っていた。その当時、兵隊さん(上等兵)の俸給は14円くらいだったと記憶しているが、私は本俸のの半分は内地の実家に送金されていて、あとは戦地手当を含めて40円くらい支給されていたからである。今にして思えば、ビルマはルビーの産出国である。いくらでも安く買えたはずと思うと残念であるが、“後の祭り”とは、このことである。そこで、護衛の兵隊さんにテツカブト(コンドームのこと)とお金を渡し「俺はビクトリア湖で遊んで待っているからよ」といって、女を振り切り、“あなたくるくるウソばっかり”なんていう声を後にして外に逃げた。・・・南航の輸送班の中では「石毛君はピー屋(慰安所のこと)遊びを覚えて通い始めた」との噂も出たようであった。 |
| 証言者 | 石毛比呂志 |
| 証言者属性 | 日本軍兵士 |
| 部隊名 | |
| 資料タイトル | ビルマ戦線従軍物語 |
| 著者、公文書発信者など | 石毛比呂志 |
| 公文書宛先 | |
| 発行日 | 2006.1.25 |
| 発行所 | 新風舎 |
| ページ | 26-27 |
| 出典備考 | 著者略歴に「昭和18年武蔵野高等無線電信学校卒業。旧陸軍航空本部嘱託南方航空輸送部勤務となり、ビルマ戦線に従軍」とある。 |
| 備考 |
著者略歴に「昭和18年武蔵野高等無線電信学校卒業。旧陸軍航空本部嘱託南方航空輸送部勤務となり、ビルマ戦線に従軍」とある。
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