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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報ヤンゴン管区 ヤンゴン北部県 タイキ郡区
資料にある地域情報タイキ
慰安所があった時期1944年11月
記載内容11月29日、トラック2両で軍司令部所在地ペグ―山系西麓のタイキに向け出発、12月1日早朝、無事、司令部に到着した。・・・軍司令官桜井省三閣下以下、高級将校が一堂に会し、司令部要員すべてが居並ぶ中、精いっぱい化粧をした10名ばかりの女性がいた。どんな任務を持っているのかわからなかったが、奇妙な感じがした。後で聞けば、彼女らは従軍慰安婦であるということだった。中には長髪でロンジー姿の人物がかなりまじっているが、明らかに日本人だ。・・・
夕食は司令部諜報部隊「疾風隊」に招かれる。先ほどのビルマ人の服装をしていた人たちはこの疾風隊の隊員で、隷下部隊から選抜された優秀な将校下士官と聞いた。疾風隊隊長は蜂須賀少佐である。・・・
なかでも哀れを誘うのは、慰安婦の集団だった。体を張って稼いだ軍票の束を、後生大事と体にくくりつけて兵隊同様、筏を河に乗り入れた。水をふくんだ札束は、あまりに重かった。まして女のやさ腕で、激流に立ち向かうのは過酷すぎる。なぜ傷病兵といっしょに舟で渡さなかったのか。彼女らはことごとく水に流された。メザリのバンガローで彼女らが、一抱えもある札束を、日に当てて乾かしているのを見たが、おそらく背嚢一杯はあったのではないか。
証言者斎藤新二
証言者属性日本軍兵士
部隊名策第28軍
資料タイトル軍楽兵よもやま物語-第二十八軍軍楽隊ビルマ戦記
著者、公文書発信者など斎藤新二
公文書宛先
発行日1995.2.28
発行所光人社
ページ66-68、153
出典備考注:タイキに駐屯した部隊の中に慰安婦がいた。「疾風隊」に所属していたように証言者には見えた。証言の二段目がそのことを述べている。その後の行動は三段目にあるように、シッタン河を渡河し、メザリに向かうのである。ここではタイキでとった。なお、「疾風隊」は「策・はやて隊」のことで、a-3842、a-3919、a-3920を参照。タイキの位置はa-3840を参照のこと。
備考 タイキの位置。ビルマ50万分の1の地図(アジア歴史資料センター:C14060191800)のラングーンの北方にタイキがある。イヲワディ分線の駅付近のようだ。現在の地図の同所にタイキTaik Kyiがある。
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