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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報ヤンゴン管区 ヤンゴン北部県 タイキ郡区
資料にある地域情報タイキの憲兵隊本部から4500メートルラングーン寄り
慰安所があった時期1944年12月
記載内容「軍医殿、慰安所を開設しますから、衛生状態を検閲して下さい。」「え!憲兵隊が慰安所を開設するのか」「はい……。慰安婦は朝鮮人ですが、まだ来ていません……。」慰安婦のいない慰安所の衛生検査に、軍医の立ち合いも妙なものである。建物の立地条件、居住性の衛生上の問題かもしれない。憲兵に案内された地点は、隊本部より4,500米ほどラングーンよりの密林地帯にあった。雨露を辛うじて凌げるほどのニッパ椰子の粗末な小屋が点々と散っていた。・・・軍令憲兵である憲兵隊が、作戦以外の慰安所開設に疑念を抱いた。憲兵の説明によると、毎月末に慰安婦たちの稼ぎ高検査のため、各慰安所を回ることになっているという。形式的ではあるが、個人の稼ぎ高を調査して、楼主に不正がないか、などを指導監督するのだという。剛欲非道の楼主と、身体を張って1日も早く借金を返したい慰安婦。慰安婦同士の人間関係などでトラブルを起こすことも日常茶飯事らしく、憲兵隊にしても招かざる客らしい。平時と異なり、兵隊との色恋沙汰は皆無と想像された。慰安婦の検梅はどうするか。医務室には、顕微鏡、染色液、採取用具もなく当惑したが、他部隊に依頼することで、一件落着安心した。
証言者森川勤
証言者属性日本軍兵士・軍医
部隊名策第28軍・憲兵隊
資料タイトル靖国街道-太平洋戦記-
著者、公文書発信者など森川勤
公文書宛先
発行日1994.2.1
発行所考古堂書店
ページ420
出典備考タイキの慰安所などの配置についてはa-3842『ああ、策はやて隊』の378pの地図を参照のこと。
備考 タイキの位置。ビルマ50万分の1の地図(アジア歴史資料センター:C14060191800)のラングーンの北方にタイキがある。イヲワディ分線の駅付近のようだ。現在の地図の同所にタイキTaik Kyiがある。
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