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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報ヤンゴン管区 ヤンゴン北部県 タイキ郡区
資料にある地域情報タイキ
慰安所があった時期1944年12月
記載内容タラワジの英国式建物の中で教育を受けていた我々はやて隊も、この軍司令部と前後して、タラワジを引き揚げ、軍司令部より約2キロ西側(写真13参照)の山中に、あらかじめ設営されていた10数棟のニッパヤシと竹で造られた完全なビルマ式家屋に、全員が移動し、いよいよビルマ人としての生活に入り、「皇心緬形」の教育を受けることとなったのである。・・・
昭和19年12月上旬、パウンデにあった第28軍司令部が、120キロ南のタイキの山中ジュビュー湖の近くに移動したが、我々はやて隊も期を同じくして、タラワジからタイキに移動した。また、軍司令部に付属していた3つの慰安施設「翠香園、曙食堂、八雲荘」も移動して来たが、その位置的関係は次ページ挿図16のとおりであった。和風料理屋の翠香園は軍司令部から約700メートル北北西にあって、専ら軍司令部の佐官級以上の慰安施設で、将校集会所とも呼ばれていたらしい。・・・純粋の慰安所八雲荘は、我々はやて隊からわずか500メートル北東にあった。・・・また、八雲荘には15名の女がいた。・・・
《翠香園、曙食堂、八雲荘の従業員は、全員身分を軍属とし、「傭人隊」と名付けた一部隊を作り、その隊長に私が命じられ、軍司令部副官部の指揮下になった。・・・》
証言者笠置慧眼
証言者属性日本軍兵士・軍医
部隊名第28軍司令部 策はやて隊
資料タイトルああ、策はやて隊
著者、公文書発信者など笠置慧眼
公文書宛先
発行日1990.7.20
発行所西部読売開発出版部
ページ236、377、383
出典備考注:本文にあるとおり、378pに地図「挿図16、軍司令部、はやて隊、三慰安施設の位置的関係」が掲載されている。この略図にはジュピュー湖の西方に順に軍司令部、翠香園、曙食堂、八雲荘、はやて隊のおおよその位置が記されている。また387pには「表3 第28軍傭人隊一覧表」が掲載され、31名の本籍地、芸名、本名とともに備考欄には戦傷、死亡、戦死、落伍などの状況が記されている。この中で慰安婦と思われるのは、経営者、料理人などを除く27名である。27名の内、朝鮮が本籍地となっているのは8名である。
備考 p378に地図「挿図16、軍司令部、はやて隊、三慰安施設の位置的関係」、p387に「表3 第28軍傭人隊一覧表」あり
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