記載内容 | この「シッタン」部落は河の名をそのまま取って付けたのだろう。河に望んで小高い丘があり、相当な年代を経て、種々な歴史を秘めていると思われる、古びた「パゴダ」が建っていて、塔の四隅に釣られた金鈴が「チリン、チリン」と、朝夕美しい音色を聞かせて呉れる。・・・真介は、町の様子もおおよそ判って来たし、住民の中にも表面は日本軍に協力的な態度を見せては居るが、内心必ずしもそうではないと思われる者も多少居るように見受けられたので、こんなところで隊員達が、風紀上の問題から原住民との間に摩擦を起すようなことがあっては大変だと、隊専用の慰安所を開設することを提案、早速意見が容れられたので、設営準備に取りかかる一方、慰安婦は町の顔役にあっせんを頼み、取敢ず3,4人揃ったところで、近くの兵站病院にその身体検査を依頼するなど、何かと手数はかかったが、どうやら間もなく開設の運びとなった。ところが慰安所開設の報を聞き伝えた附近駐留の各部隊が黙っていない、次から次と利用申込みが殺到して来たので、ついに利用日を決め、1人当りの制限時間を規定するやら、料金を統制してサービスの公平を図るなど、随分細かい神経を消耗させられたが、然しそれだけに効果は充分あった。 |