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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報パゴー管区 パゴー県 パゴー郡区
資料にある地域情報ペグー
慰安所があった時期
記載内容いつもこの映画館は繁昌していた。娯楽機関のなかったペグー市内では兵士たちの眼を喜ばせる唯一のものであった。一方、市内には娯楽機関として患者療養所より約1粁離れた場所に、軍指定の慰安所が存在していた。外出日ともなれば兵士たちはこの慰安所をめざしてとんで行った。ここは中国人の慰安婦が10数人いて、それぞれ客を接待していた。外出日には兵士たちはわれさきにと列をつくって入場券を買い求めていたのは珍現象の一つであった。当時は性病予防のために軍はサック(軍では鉄カブトとよんだ)の使用を奨励していた。慰安婦のいた個室は家具が飾られ、板張りの上には布団、藁布団が敷かれ当時はショートタイム5円、ロングタイム10円で目的が達せられた。だが、空襲警報のサイレンでもなれば、衣類をつけるまもなく防空壕に飛びこまねばならなかった。しかし「検梅」により性病が発見されれば、その慰安婦は休業を駐屯地司令官より命ぜられ、病気がひどければ入院も強要された。毎夜、慰安所には外出日の下士や兵士以外に、青旗、赤旗を掲げた自動車が出入りするのを見た。・・・
ペグー市内の慰安所は通貨部隊や駐屯地の兵士たちによって繁昌したが、前線の慰安婦たちは部隊の移動とともに行動していた。
証言者亀尾進
証言者属性日本軍兵士
部隊名ビルマ第118兵站病院
資料タイトル魔のシッタン河
著者、公文書発信者など亀尾進
公文書宛先
発行日1980.12.25
発行所旺史社
ページ77-78
出典備考
備考 現在の地図のヤンゴンの北東にペグーがある。
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