出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | パゴー管区 パゴー県 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | メザリ |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | さてわれわれも1日、2日と否応なしに、先着者と同じ境遇に馴らされていく。同時に山の中の様子も少しづつ解ってきた。軍司令部の在るメザリには、日本人の慰安婦も十数名集結しており、彼女等も将校用の軍服を着用して、健気に振舞っていた。彼女らのうち果して何人が最終的に内地に生還したか、わたしは知らない。・・・ 山中の生活に少しづつ馴れると共に、幸いなことに、われわれは工兵であり、道路隊であったため、再び「策」輸送隊の指揮下に入って、道路偵察並びに路開補修も任ずることになった。 |
証言者 | 牧野治 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | ビルマ敗戦記-アラカン脱出とシッタン渡河- |
著者、公文書発信者など | 牧野治 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1993.8 |
発行所 | 私家版 |
ページ | 90 |
出典備考 | 撤退中に通過した地点。慰安所に関する詳細不明。 |
備考 |
撤退中に通過した地点。慰安所に関する詳細不明。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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