出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | パゴー管区 タウングー県 タウングー郡区 |
資料にある地域情報 | トングー |
慰安所があった時期 | 1942年 |
記載内容 | 昭和17年6月4日、ビルマのラングーン市北郊の野戦重砲兵第3連隊の駐屯地、コカイン兵舎を出発し、雲南省拉孟にいる第2大隊を目ざして北へ走った単独行の軍用トラックは、寺本見習士官に率いられた10名の追及兵を乗せて、夕方トング―に着いた。トング―は、ラングーンから3百キロ、シッタン河畔の小都市だが、わたしたちが着いたとき、戦火のめに徹底的に破壊されて一面の瓦礫の原と化しており、傾いた北緯17度の太陽が、崩れかけた家々を照らしていた。古参召集兵の藤原上等兵を先頭にトラックを降りた追及兵たちが、ひとつの街角を曲がったとき、すでに30歳をいくつか越えた上等兵が、「おっ、ピー屋だ。ピー屋だぞう!」と、年に似合わない弾んだ声を発した。見ると、るいるいたる瓦礫の間に木造のバラックが建てられ、門にアーチが架けられて、看板に横文字で「うれしか楼ー皇軍将兵慰安所」と書いてあり、その根元にくたびれたシャツとロンジー(腰に巻くスカート)のビルマ女たちが、5,6人かたまって立っていた。・・・ わたしたち、雲南最前線への追及兵がトング―の焼けあとで出会ったのは、第55師団及び第56師団と中国軍の精鋭第28師団との戦闘終了後、軍と業者がいち早く集めた貧しいビルマ娘たちだった。 |
証言者 | 秋元実 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 野戦重砲兵第3連隊 |
資料タイトル | かたりべの群れ2 私の戦時体験 |
著者、公文書発信者など | 沼津戦後の戦友会 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1988 |
発行所 | 沼津戦後の戦友会 |
ページ | 1、3 |
出典備考 | 秋元実「慰安婦と兵隊」 |
備考 | アジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図に「タウングー」がある。同ヵ所には手書きで「トング―」と記されている。ペグーの北方である。現在の地図の同所にはタウングーがある。 |