記載内容 | プローム県の県庁所在地であるプロームが最前線兵站基地となり、そこからイラワジ河を渡って、陸路アキャブに兵隊や食糧が輸送された。自分はプローム兵站の勤務となった。・・・此処から先は所謂第一線なので、附近には例の慰安所がかなり沢山設けられていた。慰安婦については別章でのべたが、プローム慰安所は前線慰安所としてラングーンとは違った趣があるので、再び触れてみたい。市の一画にあった大きなイギリス人や、支那人の家の1階、2階の部屋を細かに区切って、その小さな仕切りの中に慰安婦が1人ずつ働らいていた。彼女たちの出身国は様々で、広東出身、朝鮮出身、内地出身……といろいろ変わった人種の人が来ていて、それらが各々1グループとなって、1人の主人のような者が率いていた。宣撫政策上かビルマ人の慰安婦など1人もいなかった。グループの人数も各種各様で多いグループは30人、40人であり、少いグループでも6人か7人いた。そのグループが割り当てられた家に陣取って、来る部隊、来る部隊の兵隊を客とするもので、男の精液を絞りとることが仕事である。一応内地の開放前の遊郭と同じであるが、もっと端的でむき出しな感じである。そこには色気とか情緒というようなものは殆んどない。 |