証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報パゴー管区  ターラーワディー県 ターラーワディー郡区
資料にある地域情報タラワジ
慰安所があった時期
記載内容はやて隊が結成されて、4週間目の11月17日のことであった。夕食後、私はベッドの上で寝転んでいたら、隊長の当番兵が来て「軍医殿、隊長殿が呼んでおられます」と告げた。・・・「笠置中尉、実は佐藤副官に、現地人の慰安婦を集めてもらっているんだが、何とか検査をしてみてくれんかね?」といったので、私はびっくりした。・・・最後のY子は、外見上も異常なく、また、膣内からも分泌物が付着してこなかったので合格にしたが、結局は、5人中、最初のM子と、最後のY子の2人だけが、合格ということになったわけである。そこで、私は佐藤中尉に「2人しかいませんねェ!!しかし、この2人も、サックを使用しなければ駄目ですよ」というと「2人で150名を賄うということは、ちょっと無理だなァ!!今日はなかったことにしよう」と佐藤中尉はいった。・・・そして、3人そろって隊長室に行き、使いものになるのは2人しかいなかったことを隊長に報告した。おおぴらにできることではなかったので、隊長もニヤニヤしながら「ご苦労であった。せっかくだったが、この話はなかったことにしよう」といって、我々をねぎらってくれた。・・・
昭和19年12月上旬、パウンデにあった第28軍司令部が、120キロ南のタイキの山中ジュピター湖の近くに移動したが、我々はやて隊も期を同じくして、タラワジからタイキに移動した。また、軍司令部に付属していた3つの慰安施設「翠香園、曙食堂、八雲荘」も移動して来たが、その位置関係は次のページ挿図16のとおりであった。・・・ところで、はやて隊結成式のあと、隊長が「精力のハケ口は必ず解決してみせる」といったのは、軍司令部にはちゃんとこのような施設が付属していたからであろう。
証言者笠置慧眼
証言者属性日本軍兵士・軍医
部隊名第28軍司令部 策はやて隊
資料タイトルああ、策はやて隊
著者、公文書発信者など笠置慧眼
公文書宛先
発行日1990.7.20
発行所西部読売開発出版部
ページ221、229-230、377、379
出典備考注:150pに秘匿名は最初「楯」であったが1944年1月下旬に「壮」に変更されたと記されている。証言者はタラワジに於いて性病検査を命じられたが、合格したのは2人だけだった。その結果に隊長はタラワジでの慰安所設置は取りやめにした。379pには「(慰安施設は)実現しなかった」とある。しかし、230-231pには「5日前に君と一緒に買った女がその中にいて、彼女は淋病を持っていたんだ。だから、感染しているんじゃないかと心配になって、聞きに来たんだが……。」と記されており、多分、正式な慰安所はなくても、兵士は私娼を買いに行っていたのである。タラワジでは慰安施設は実現しなかったが、隊長はタラワジからタイキへの移駐が念頭にあったのであろう。タイキ移駐後は軍司令部に付属する3つの慰安施設を利用できるようになったのである。
備考 タラワジの位置。アジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図のヘンザタの東にサラワデがある。現在の地図の同所はTharrawaddyである。本資料中のタラワジはサラワデ、Tharrawaddyのことである。
※慰安所マップの地点としては反映させていない。
テキストのコピーはできません。