出典種別 | 兵士の回想録等
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現在の地域情報 | ラカイン州 シットウェ県 シットウェ郡区 |
資料にある地域情報 | アキャブ |
慰安所があった時期 | 1943年5月 |
記載内容 | ビルマ南部のタウンガップ基地にいた船舶工兵第11連隊・和田寅吉一等兵(82)=写真=は「朝鮮から慰安婦が10人くらい来るらしい」との噂にいささか驚いている。ここまで船で来るにしても、マラッカ海峡を通り、アンダマン海をマレー半島沿いに北上し、ベンガル湾まで出なくてはならないのである。・・・夜に入ってアキャブに向かうことになっていた。物資の積み込みは終わっていた。そのうち、表がにぎやかになったので、機関室から出てみて驚いている。「日本語を話す女人が十数人、40歳半ばの夫婦者に連れられて乗り込んできた」」わが舟艇は戦闘部隊の兵員を乗せての敵前上陸が主な任務だと思っていた。女を乗せることなぞ夢にも考えていなかった」(和田・手記)/彼女たちは朝鮮人慰安婦だった。夫婦者は「オトウサン」「オカアサン」と呼ばれていた慰安婦の親方だった。大発に同乗してアキャブへと行くというのだった。・・・「5百円か6百円かでオトウサンに買われた」「年季は5年だが、頑張れば3年で故郷へ帰れると聞かされている」女はそんな話をしている。・・・間もなく、そのアキャブ基地も英印軍の圧力を支え切れず、ついに撤退することになった。タウンガップの船舶隊は総力をあげて撤収作戦を支援している。うち1隻には女性陣が乗艇していたのだが、敵機の銃撃により沈没した。兵隊も含めて多くが海没した。それでも1人の女性が近くの小島に泳ぎ着いたが、残念ながらすぐ死亡した。名前を「丸子」といった。本名がなんであったのか、朝鮮半島のどこの出身だったのかなどについては分からない。 |
証言者 | 和田寅吉 |
証言者属性 | 日本軍兵士・一等兵 |
部隊名 | 船舶工兵第11連隊 |
資料タイトル | 生き残った兵士の証言 極限の戦場に生きた人間の真実 |
著者、公文書発信者など | 土井全二郎 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2004.9 |
発行所 | 光人社 |
ページ | 193-196 |
出典備考 | 注:195pの地図「ビルマ要図」にタウンガップ、アキャブが記されている。 |
備考 |
p195の地図「ビルマ要図」にタウンガップ、アキャブが記されている。
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