出典種別 | その他 |
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現在の地域情報 | マグウェ管区 タイェッ県 アウラン郡区 |
資料にある地域情報 | アラン |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 日本人のみがやりかねないー汚され、痛めつけられ、消されそうになりながら、ペグー山脈やビルマのジャングルで戦闘に巻き込まれていた28人の中国人少女が連合軍に保護され、彼女らの属していたコミュニティによる保護をうけて新しい生活を与えられた。これらの少女は、日本軍の慰安施設で働くことを強制されていた。少女らのほとんどは広東出身で、何人かは学生だった。日本軍は広東を占領したとき、彼女たちにいい仕事を与えると約束してむりやりシンガポールに連行し、そこからラングーン、そしてさらにイラワジ河沿いのアランに連行した。・・・アランで、彼女らは2グループに分けられ、河の両サイドにある日本軍のホテルでウエイトレスとして働かされた。退却の際、日本軍は、日本軍自身やそのほかの危険極まりない条件に耐えなければならないペグー山脈にむけて彼女らを向かわせた。連合軍によって追い詰められると、日本軍の残党は自分らの安全だけを考え、少女たちを野性そのままの山脈に置き去りにした。しかし、幸運なことに、彼女らはビルマ人の村長に見つけられ、連合軍に送られ、ラングーンで自由を与えられた。 |
証言者 | |
証言者属性 | |
部隊名 | |
資料タイトル | ビルマに残る性暴力の傷跡-日本軍慰安所について現地調査報告 |
著者、公文書発信者など | 「従軍慰安婦」問題を考える女性ネットワーク |
公文書宛先 | |
発行日 | 1998.1.31 |
発行所 | 「従軍慰安婦」問題を考える女性ネットワーク |
ページ | 29 |
出典備考 | 新聞「ラングーン・リベレイター」(LANGOON LIBERATOR)1945.8.26 |
備考 |
「慰安施設」の内実がわかる記述がないが、広東から連れてこられた被害者についての兵士の証言が多々あることから、関連資料として掲載。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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