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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報マンダレー管区 メイッティーラ県 メイッティーラ郡区
資料にある地域情報メークテーラ
慰安所があった時期1942年
記載内容我々は実際の戦闘状況を知らず、敵が撃滅されるのはただ日にちの問題だと思っていた。そして“メークテーラ”のビルマ人たちは大変だろうと考える。あそこは私が親しくなった人達が何人も居る。一昨年昭和17年にビルマ戡定作戦が終わってから、我々の部隊、歩兵第114連隊が、駐屯したのがここであった。・・・
我々は休養日になると、町の西側から橋を渡って中心の東側に行く。食堂が何軒もあった。そこでは支那酒や強くて口がしびれるようなビルマ酒を飲ましてくれる。兵隊たちは食うこと、飲むことが楽しみだ。慰安所も3軒が進出して来て、それぞれに繁盛した。
証言者三浦徳平
証言者属性日本軍兵士
部隊名第18師団歩兵第114連隊
資料タイトルビルマ戦線の死角 <菊兵団」メークテーラに潰ゆ>
著者、公文書発信者など三浦徳平
公文書宛先
発行日1992.8.10
発行所葦書房
ページ224-225
出典備考
備考 アジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図に「メイティラ」がある。ビルマ鉄道が交差するサジの西である。現在の地図の同所はメイティーラーMeikhtilaである。ネピドーとマンダレーの中間付近に当たる。
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