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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報マンダレー管区 マンダレー県 マンダレー郡区
資料にある地域情報マンダレー
慰安所があった時期1942年
記載内容彼らの案内でイラワジ河を渡ってカチン族の部落へ玉ねぎ、馬鈴薯の買い出しに行くが、日本人には余り好感を持っていない。招かれざる客のようであう。次郎長に村の人と話をさせると、「チャイナも嫌い。日本の兵隊もわれわれの女を強姦していった」いずれの部隊か、いずれの兵か、われわれまでが白い眼で見られる。・・・時にはカチンの部落で婦女暴行があったりして兵隊が殺され、カチンの部落との間が険悪な雰囲気になってきたり、苦労の野菜集めであった。こんな時、前にも書いた南海支隊に対する慰安婦問題もあり、当然ながらこのマンダレーにも急きょ慰安所が開設された。これとともに英軍の爆撃も日を追って激しくなってきた。・・・また、慰安所で遊んでいる真っ最中に空襲警報で、慰安所が大騒ぎになることもあった。王城の中の高射砲で敵機を迎撃するが、一発も命中しない。英軍の高射砲と違って一発一発の弾込めであるため、過ぎて行く方が早い。・・・空襲下でも慰安所は超満員であった。兵隊には、もっぱら朝鮮の女子、将校専用には日本婦人。危険にさらされながらも、慰安所には門前市をなす有り様だった。・・・それとともに商魂たくましいビルマ人、ビルマの娘さんを集めて日本人兵隊用の慰安所開設。
証言者友澤正枝
証言者属性日本軍兵士
部隊名満州独立守備隊
資料タイトル夢の夢・百と八日
著者、公文書発信者など友澤正枝
公文書宛先
発行日1997.10.10
発行所日本図書刊行会
ページ272-274
出典備考
備考 ビルマの中央付近、イラワジ河の東岸沿いにマンダレーMandalayがある。
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