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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区
資料にある地域情報メイミョウ
慰安所があった時期
記載内容仕事始めに早速その日、メイミョウ周辺の地形を一巡すると、緑滴る林間に色とりどりの和服姿でシャナリシャナリと逍遥する乙女の群れが目についた。中国でも滅多に見られない風景だ。森の中に一際目立つ建物には翠明荘と書いた看板がかけられてある。将校専用の慰安所であり、その界隈の下士官兵の慰安所も昼間から大入満員の盛況を呈している。
陽が陰を呼ぶのは宇宙の真理である。若い男の群に若い女が必要なことは肯けない訳ではないが、インパールで数万の将兵が餓死しているとき、同じビルマのしかも隣接軍でこのような行状が許されるものであろうか。戦争は一面において崇高な戦友愛と上下の道を示すと共に、他の一面では刹那主義、享楽主義に陥り易い。何とかしてこの雰囲気から脱却しなければ、軍の精神的団結を強化し、酷烈な戦局を切り抜けることは出来ない。第一線で戦っているものと後方の司令部に勤務しているものとが、余りにも生活態度を異にする。伝統と試練なき新編の軍司令部においては尚更である。
証言者辻政信
証言者属性陸軍作戦参謀
部隊名第15軍司令部
資料タイトル十五対一 激闘ビルマ戦線
著者、公文書発信者など辻政信
公文書宛先
発行日1979.5.20
発行所原書房
ページ53
出典備考
備考 現在の地図のマンダレー東方にメイミョーMaymyoがある。ピンウールウィンPyin Oo Lwinとも呼ばれている。ちなみにアジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図では「マイミヨ」とある。日本軍はメイミョウ、明妙などと呼んでいた。
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