証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区
資料にある地域情報メイミョウ
慰安所があった時期
記載内容メイミョウで見たこと・清明荘の女達
ある外出日、私は1人で下士官・兵用の食堂で飲んでいて、偶然「昆」の司令部の2人の軍曹と一緒になった。どうした事か私はひどく此の2人に気に入られ、強引に2次会に連れて行かれた。・・・呆っ気にとられている私を引っ張って、2人は私を司令官の部屋に連れて行った。昔の総督の部屋?は完ぺきな日本間に造り替えられていた。見事な書院造りで、杉の竿縁天井、襖、障子は勿論、畳まで全部内地から取り寄せたものだと云う。「ン、マァ、このビルマの奥地で!」と驚き呆れている私に彼等は、「まだ珍しい物を見せてやる」と言って、今度は「清明荘」に案内した。其処は高級軍人専用の料亭であり、新橋、赤坂もかくやと思わせる造作で、司令官の部屋と同じである。2人は交互に「ラングーンの翠香園はまだ立派だゾ。夜になると、日本の女が芸者姿で現れるんだゾ、尤も「べた金」か「これ」ぢゃなきゃだめだけどナー。」と参謀肩章の手真似をして見せた。「べた金」とは将官の事であり、その人達の毎夜の宴会の酒、肴を調達するのが彼等の任務であり「今時ァ、それがラクぢゃないんだョ。怒鳴られるばかりサ」との事であった。
証言者塩川令人
証言者属性日本軍兵士
部隊名木村部隊
資料タイトルイラワジのほとり
著者、公文書発信者など塩川令人
公文書宛先
発行日1989.9.1
発行所私家版(塩尻市)
ページ46-47
出典備考
備考 現在の地図のマンダレー東方にメイミョーMaymyoがある。ピンウールウィンPyin Oo Lwinとも呼ばれている。ちなみにアジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図では「マイミヨ」とある。日本軍はメイミョウ、明妙などと呼んでいた。
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