証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区
資料にある地域情報メイミョウ
慰安所があった時期
記載内容噂といえば、牟田口軍司令官がさわやかな冷気のメイミョウに軍司令部を置いたまま、インパール作戦開始後もその戦闘指令所を前線に移さないことに関して「麗人との別離がつらいのだろう」との風評がささやかれていた。この麗人とは、メイミョウの豪壮な邸宅内に囲われていた1人の女性を意味していた。彼女はメイミョウに設けられた高級将校専用の慰安所「清明荘」にいた前線慰安婦の1人で、彼女は広大な軍司令官官舎の奥深く居住をともにしていた。このとき、メイミョウの高級将校専用の慰安所「清明荘」には10数人の慰安婦がいたが、彼女らはいずれも大阪の松島遊廓内からはるばるビルマまで「お国のためだ……」と送り出されていたものだった。そして牟田口軍司令官の官舎内にて彼の寵愛を一身に受けることとなった女性のことは、軍司令部内でも一部の高級将校しか知らない秘事とされていたが、それはあくまで表向きのことであり、事実は、軍司令部に勤務する3百余人の将校たちの間に公然たる秘密として知れわたっていた。
証言者証言者不明
証言者属性日本軍兵士
部隊名第15軍司令部
資料タイトル防人の詩 インパール編 悲運の京都兵団証言録
著者、公文書発信者など京都新聞社
公文書宛先
発行日1979.6.20
発行所京都新聞社
ページ79-80
出典備考「インパール平原」
備考 現在の地図のマンダレー東方にメイミョーMaymyoがある。ピンウールウィンPyin Oo Lwinとも呼ばれている。ちなみにアジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図では「マイミヨ」とある。日本軍はメイミョウ、明妙などと呼んでいた。
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