証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報マンダレー管区 ピンウールウィン県 ピンウールウィン郡区
資料にある地域情報メイミョウ
慰安所があった時期1944年
記載内容メイミョウの空襲は夜な夜な続けられ、照明弾のまぶしいのにおどろいた。いつぞや偕行社がやられ、北海道から追求してきた新任軍医達がここで危うくやられる所であった。偕行社とは将校クラブのことで、ここには数名の日本娘が軍属の身分で給仕をしており、酸っぱい現地製日本酒と変化に乏しい肉料理ではあるが毎晩盛況であるという。高級将校のためには軍司令部お抱えの料亭清明荘があり、内地から芸者が沢山きていた。もちろん我々見習士官などのゆける所でなく、各隊の隊長クラスがかち合わないようにスケジュールを決めて遊びにいっていた。うちの病院でも上級者数名が馴染みをつくっていた。曜日が変れば他隊の何某の女になるわけで、これを称して〇〇兄弟という。
証言者興野義一
証言者属性日本軍兵士・軍医
部隊名ビルマ派遣第121兵站病院
資料タイトル一軍医の見たビルマ敗退戦
著者、公文書発信者など興野義一
公文書宛先
発行日1981.10.25
発行所旺史社
ページ62
出典備考著者略歴に「昭和18年10月東京軍医学校幹候隊卒、ビルマ派遣」とある。
備考 著者略歴に「昭和18年10月東京軍医学校幹候隊卒、ビルマ派遣」とある。
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