出典種別 | 公文書・軍関係資料等 |
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現在の地域情報 | シャン州 タウンジー県 タウンジー郡区 |
資料にある地域情報 | タウンジー |
慰安所があった時期 | 1942年 |
記載内容 | 9.前線地域における日本軍慰安所 M739と妻と義姉(妹)は、朝鮮の京城で料理店経営者としてかなりお金を稼いでいたが、商売が不振に陥ったため、より多くの金を儲ける機会を求めて、朝鮮からビルマへ「慰安婦」を引き連れて行く許可を京城の陸軍司令官に申請した。・・・M739とその妻は、料理店の経営を義姉(妹)に委ねたうえで、1942年7月10日、買い受けた女性22名を引き連れ、703名の女性(すべて朝鮮人)と90名ほどの日本人男女(ほかならぬ彼と同じように人格低劣な連中)の一行で釜山を出航した。・・・ラングーンで彼女たちはそれぞれ20名ないし30名のいくつかのグループに分けられたうえで、ビルマ各地に分散配置されたが、それぞれのグループは各地の連隊、部隊または部隊群に所属し、したがって、それぞれが別々の慰安所をもっていた。M739のグループは歩兵第114連隊に配属された。彼らはタウンジー、メイクティラ、メイミョーで何ヵ月かを過ごして業を営み、その後(1943年1月ごろ)ミッチナに到着した。・・・後方地域の慰安所には日本人女性がおり、例えば、メイミョウのような所では、そこにある8つの慰安所のうちの2つは、日本人女性で成り立っていた。 |
証言者 | M739と慰安婦20名 |
証言者属性 | 民間人捕虜(慰安所経営者)、慰安婦 |
部隊名 | 第18師団歩兵第114連隊 |
資料タイトル | 心理戦 尋問報告 第2号 |
著者、公文書発信者など | 東南アジア翻訳尋問センター |
公文書宛先 | |
発行日 | 1944.11.30 |
発行所 | |
ページ | |
出典備考 | 『従軍慰安婦資料集』吉見義明、1992.11.27、大月書店、459ページ |
備考 | アジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図に「タウンジー」がある。カロー、アンバン(アウンバン)、ヘボと続く、その東にある。現在の地図の同所はタウンジーTaunggyiである。 |