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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報シャン州 タウンジー県 タウンジー郡区
資料にある地域情報タウンジー
慰安所があった時期1942年5月
記載内容昭和17年5月20日。
騎兵第22大隊は、風光明媚な南シャン高原タウンジーの英印軍兵舎を接収して、新部隊長の長橋次六中佐を迎えた(長崎県島原出身、北ビルマ、モールにて戦死)/前部隊長の福本中佐は、ビルマ進攻作戦中発病し、4月15日ラングーン第10兵站病院にて戦病死された。タウンジーは、南シャン州の首都で、これがビルマかと思われるような高原の爽快、冷涼の地で、祖国を偲ばせる松や桜の並木道が美しかった。いわば日本の軽井沢である。・・・日本軍の進撃も早かったが、日本娘子軍の追撃?もまた早く、娯楽慰安の設備も一応整った。兵隊、下士官用の慰安所も沢山できたし、将校クラブには「久留米翠香園」=福岡県久留米市=の奇麗なお姐さんたちが大勢やってきた。私の中隊の将校は、みんな若く独身だったが、士官学校や、大学・高専を卒業してすぐ軍隊に入った者ばかりで、遊びの経験は皆無だった。・・・これでは心細いので、大学卒の遊びの達人、有田少尉の特訓?を受けることになった。授業料は割勘でも高くついた。鶴崎中尉は、遣り手仲居から「これだけ支払った後は、焼いて喰おうが煮て喰おうが貴男の勝手」と言われたと、大感激で注進にとんでくるほどの純情さだった。久留米翠香園の中には、峯千代と若狭という、若くて飛び切り別嬪の姐さんが2人居た。その峯千代姐さんが私の担当になって貰い、鶴崎中尉は若狭姐さんに担当して貰うことになった。峯千代姐さんは、牟田口師団長のお気に入りということを知っていたので、私は専属副官の栗山中尉に根廻しをしておいた。
証言者西正義
証言者属性元陸軍大尉西機関長
部隊名第18師団騎兵第22大隊
資料タイトル西機関・ビルマを征く
著者、公文書発信者など西正義
公文書宛先
発行日1987.9.20
発行所サンエイプロス
ページ137
出典備考
備考 アジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図に「タウンジー」がある。カロー、アンバン(アウンバン)、ヘボと続く、その東にある。現在の地図の同所はタウンジーTaunggyiである。
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