出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | シャン州 チャウメ県 チャウメ郡区 |
資料にある地域情報 | チャウメ |
慰安所があった時期 | 1943年6月 |
記載内容 | 私が所属する歩兵第114連隊の第3大隊は第15軍(牟田口中将)の直轄部隊となって、北シャン州の“チャウメ”付近に18年6月から駐屯していた。”チャウメ”の町はこの地方ではちょっとした町で、お茶やいろんな農産物の集散地で賑っている。3大隊本部や、その他の直轄部隊と共に私が所属する第7中隊もその付近に駐留した。・・・兵隊たちは休養日には町に出て現地人の食堂で美味いものを食い、慰安所に行って蒜臭い妓を抱いた。 |
証言者 | 三浦徳平 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 第18師団歩兵第114連隊第3大隊第7中隊 |
資料タイトル | ビルマ戦線の死角 <菊兵団メークテーラに潰ゆ> |
著者、公文書発信者など | 三浦徳平 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1992.8.10 |
発行所 | 葦書房 |
ページ | 14-15 |
出典備考 | |
備考 | 現在の地図のラシオの南西方向にチャウメKyaukmeがある。ちなみにアジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図の同所にはチャウメやキャウメなどの地名は見えず。新旧の地図を比較すると現在のチャウメは旧地図ではマーンカーと思われる。 |