証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報シャン州 チャウメ県 シポー郡区
資料にある地域情報シポー シャン高地帯の小さな村 
慰安所があった時期
記載内容シポーに到着したのは、まだ薄暗い夜明け方であった。シポーはシャン高原地帯の小邑である。駅前の街路には人の気配など全然なかった。我々は貨車から隊貨を下ろしたその一部は付近の空き家に移した。わが分隊の宿舎は駅からおよそ2百メートルばかり離れた道路沿いにあった。草ぶきの荒れた小屋であった。・・・昼寝にあきあきし、頭を冷しがてら道の向こうの寺にぶらりとでかける。まず寺の井戸端に寄った。・・・すると、その木の蔭の下に、1人の女がかがみこんでいた。私はその女の様子から、モールメンの貞子のように朝鮮人慰安婦ではないかと思った。そもそも、こんなところに女がいるとは想像がつかないからだ。・・・「朝鮮の方ではないですか?」驚いたように起き上がった女は、私が朝鮮人兵士なることをすばやく見抜き、顔にやさしい微笑みをたたえた。「そうよ、あなたも朝鮮の方なんですね」と、彼女は逆に朝鮮語で答えた。今度は私も朝鮮語で答える。彼女はソウルの言葉遣いであるが私は全羅道の訛まるだしだ。・・・「今日は9月の20日ですものね。私達は、昨年の春にサイゴン・バンコック経由でビルマに来ましたのよ。シポーには今日、トラック便で来ました。マンダレーからなの」・・・それから彼女は語調を変えるようにして言った。「わたしは寺の隣の2階建ての家に先発隊として来ているんです。娘たちは明日ここに来ますのよ」・・・「そう。貞子という娘がくるかもしれませんが、モールメンの貞子ではありませんよ」宿舎の方で誰かが私の名を呼んでいた。私は彼女と別れて宿舎に戻る。使役が私をまっていた。宿舎を出るとき、ちょうど彼女が寺から出るところであった。彼女はだまって寺の隣の建物を指差した。その建物は両端に階段があり道端には生垣があり、見るからにかなり立派な建物が慰安所と変るらしい。
証言者李佳炯
証言者属性朝鮮人日本軍兵士(学徒志願兵)
部隊名第49師団山砲兵第49連隊第2大隊、5中隊段列
資料タイトル怒りの河 ビルマ戦線狼山砲第二大隊朝鮮人学徒志願兵の記録
著者、公文書発信者など李佳炯
公文書宛先
発行日1995.3.3
発行所連合出版
ページ81-90
出典備考注:著者略歴に「1944年1月、朝鮮学徒志願兵として龍山の26部隊入隊、ビルマに赴く」とある。本証言で「彼女」とあるのは朝鮮人女性。その他シポーの朝鮮人「慰安婦」の名前として「恩京・五福女・貞子」が後に登場する。33軍の杉村少尉(情報関係の将校)が朝鮮慰安婦を監督する役目であると、証言者は記している。
備考 著者略歴に「1944年1月、朝鮮学徒志願兵として龍山の26部隊入隊、ビルマに赴く」とある。
テキストのコピーはできません。