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資料の詳細

出典種別 目撃証言
現在の地域情報シャン州 ラーショー県 ラーショー郡区
資料にある地域情報ラシオ
慰安所があった時期1942年
記載内容香月が上海から軍の指揮下にある慰安婦輸送船アトラス号でシンガポールに行き、そこで九州丸に乗り換え、ラングーンに着いたのは、1942年8月のことだった。ラングーンで待ち受けていた後方参謀は、香月が中国で集めた27名の日本人慰安婦のうち13名を連れ、ラシオに行くよう命令した。どの地で営業するか、また、慰安婦の配分配属は軍の指示命令で、後方参謀の管轄で取りおこなわれた。ラングーンから木炭の汽車に乗り換え、3,4日かかって灼熱の町マンダレーに着いた。寝ていても、汗で体の形ができるほどにマンダレーは暑い。そこから軍のトラックでメイミョウを越え、さらに北東に上がった町ラシオに運ばれた。軍が用意してあった慰安所は、部隊兵舎にほど近い、民家を改造した平屋の建物だった。慰安所にくる日は、部隊ごとに曜日が割り当てられていた。午前10時から午後5時までは兵隊、下士官が、夜は将校がやってきた。将校のみ泊ることができた。ここにくる兵隊は、「龍」と「菊」の兵隊たちである。当時ラシオにあった軍隊慰安所は、ここ1軒だけであった。
証言者香月久治
証言者属性慰安所経営者
部隊名菊兵団・龍兵団
資料タイトル従軍慰安婦と十五年戦争 ―ビルマ慰安所経営者の証言
著者、公文書発信者など西野留美子
公文書宛先
発行日1993.5.30
発行所明石書店
ページ100-101
出典備考
備考 アジア歴史資料センター:C141060191800のビルマ50万分の1の地図に「ラシオ」がある。マンダレーの北東、中国への幹線道路の途中にある。現在の地図の同所もラシオLashioである。
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