証言,公文書等,様々な文書を徹底調査

資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報地名特定不可能
資料にある地域情報マニワだったかも知れない
慰安所があった時期
記載内容ある日、我が分隊はちょっとした用務を帯び、さらに後方の町に出張することになって、兵隊たちは喜んだ。一同は、夕方早めに敵の飛行機に注意しながらトラックで出発した。・・・トラックは、夜通し走った。明くる日は良い天気であった。河畔の町であったが、町の名は全く思い出せない。チンドウィン河の畔とすれば、マニワだったかも知れない。兵隊全員を慰安所に連れて行った。木造の家が並んでいた。私は一番先にその1軒に入った。部屋は広い。私は元々セックスする気は全くなかった。なにせ真昼間である。巻脚絆もとらなかった。慰安婦は私の逸物の小さいのを見て、子供も作れんと嘲った。慰安婦は突然不機嫌になった。愛の表現も優しさもない。私も癪にさわって、プイと外に出た。この地で駐留している将校らしいのが、慰安婦といちゃついていた。しばらくして兵隊達は、満足気に喜々として出てきた。
証言者米良至剛
証言者属性日本軍兵士
部隊名捜索大4連隊患者輸送第72小隊(防諜名第6032部隊)
資料タイトルインパールの十字架
著者、公文書発信者など米良至剛
公文書宛先
発行日1985.1.15
発行所旺史社
ページ47
出典備考
備考
※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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