記載内容 | カレワからキーゴンまでの間は自動車輜重隊がいて、その間を縫うようにして進み、キーゴンの部落から右折し、インダンギーに到着した。カレミョー、ギーゴン、インダンギー、ヤザギョウと言えば、アラカン山系とミンタ山系の谷間にひろがる幅20キロほどの盆地で、カボウ谷地と呼ばれている。・・・我々の部隊は、ヤザギョーの北方約5キロの地点に設営することになった。・・・ある日、慰安所の女達の検診に行くようにと、連隊副官から命令をうけた。付近の部落の中に慰安所があるということは聞いていたが、我々の部隊の者がそこへ行く気配もなかったし、シンガポールやペナンのときのように、性病予防具を兵たちに渡すこともしなかった。考えてみると、この付近には我々の部隊のほかに、歩兵連隊、山砲連隊、野戦重砲18連隊などのほか、戦車第14連隊、自動車輜重隊などの部隊が、密林のなかにひしめいていたのだから、慰安所があっても別に不思議ではなかったのだ。私は衛生兵をつれて、乗用車で出かけた。慰安所のある部落につくと、そこの衛生軍曹が、「私達が慰安所の設営と管理をしております。週に1回慰安婦の検診を各部隊の軍医殿にしてもらっているのですが、今週は貴隊の軍医殿にお願いします」と恐縮しているのか、いばっているいるのか分からないような挨拶であった。はじめに慰安婦を一室に集めた。慰安婦は10名ほどいた。 |