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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報サガイン管区 カレ県 カレ郡区 インダンギー
資料にある地域情報インダンギー
慰安所があった時期1944年3月
記載内容インダンギーの残留隊は本部は私、補給部は関戸軍曹、勤務中隊は藤村衛生伍長がそれぞれ長となり全部で10名余りであったと思う、其の他朝鮮の人で慰安婦をしていた人が別棟に3名いた。・・・食糧もだんだんと乏しくなって来るので毎日が食糧調達である。名ばかりの野戦病院も近くにあったが、いつの間にか誰も居なくなってしまった。・・・通信隊に行って見ると既に藻抜けの殻で小猿が一匹繋いであった。無責任な事だと思い急いで帰り関戸軍曹に相談、その結果本隊との連絡も取れないし前線もだんだん近づいて来るようなので、貨物、自動車などを放置して撤退するより仕方がないと云う事で自動車の配電盤などをこわし、全員徒歩でカレワ迄撤退した。その際同居していた慰安婦もカレワまで一緒に下がったが、そういつまでも連れているわけにも行かず以後自由行動と云う事にして別れた。
証言者菅原金吾
証言者属性日本軍兵士
部隊名ビルマ方面軍野戦自動車廠ビルマ派遣第15軍野戦自動車廠本部
資料タイトルビルマ戦線 やうちゃの足跡
著者、公文書発信者など屋宇茶会戦誌編集委員会
公文書宛先
発行日1983.8.15
発行所屋宇茶会戦誌出版会
ページ133
出典備考菅原金吾「悲劇のインダンギー」
備考 インダンギーの位置。145pの地図によるとカレワとカレーミョの間より少し北で、ヤザギョウの南である。現在の地図でその位置を調べると、インダンギーの地名は見えず。チンドウィン河の西に南北に流れる川があるが、その川の主に東に集落が点在している。この中の一つがインダンギーと推測される。
2015年「ミャンマー/ビルマご遺骨帰国運動 追加(経過)報告書」の冒頭に、カレーミョウ地区のインダイギー村(Endaigyi village)のことが緯度経度の値ともに記載されている。緯度経度は(N)23°14,747′ (E)093°07,170′と記載、これを度換算すると、北緯23.245783、東経93.1195となるが、これではインドの地点となってしまう。多分、93°ではなく、94°の誤記と思われる。これを修正すると北緯23.245783、東経94.1195となる。この緯度経度で検索すると回想録などに記された位置と一致する。
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