出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | カチン州 ミッチーナー県 ミッチーナ郡区 |
資料にある地域情報 | ミチーナ |
慰安所があった時期 | 未記載 |
記載内容 | まちの北の外れに石油発動機の発電所があるが、電灯・電力は日本軍の使用に限られていて、一般の住民は使えない。また、バラック建ての映画館もある。だいたいこのミチーナのまちが、この国の文化の北限らしい。・・・駅の真東、イラワジ河に面して軍の慰安所(日本軍将兵用の赤線)がある。その前の砂地が東岸集落との連絡地点であるが、エンジン付きの連絡船は空爆を避けるため、日中は少し下流に下がって、偽装して繋留することになっているとは、暁部隊(船舶専門の工兵)分遣隊員の話である。・・・ さて、我が歩兵第114連隊では、日曜日の下士官と兵卒の外出は兵卒どもに限り、3人が1組になって外出許可証を頂くことになっていた。・・・なお将兵の外出、つまり所属の隊から離れてのまちの中の行動は、将校さんは昼夜を問わず常にフリーであるが、下士官と兵卒は日曜日に限られ、その時間も9~16時頃と制限付きである。・・・ 慰安所は、このまちの南端、イラワジ河に面した見晴しの良い木造2建ての校舎で、ここに向かって日曜日の朝から殺到する兵隊たちは、遅れてはならじと、我先に先陣を競い合う。慰安婦たちの接客サービスなどは、日本の女将に当るママさんなるものが管理していて、また慰安婦たちには、それぞれ花子とか、よし子などのしこ名が付けられ、呼び易く、分かり易いようになっている。 |
証言者 | 藤野英夫 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | 歩兵第114聯隊 |
資料タイトル | 死の筏 シンガポール・ビルマ戦記 |
著者、公文書発信者など | 藤野英夫 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2003.11.15 |
発行所 | 文芸社 |
ページ | 174-175, 189-190 |
出典備考 | 注:ミートキーナの慰安所の位置は、駅の東のイラワジ河に面した学校を接収して慰安所にしていたという。 |
備考 | 現在の地図のビルマの北部にミッチーナーMyitkyinaがある。カチン州の州都である |