出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 地名特定不可能 |
資料にある地域情報 | ペグー山系 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | もう田圃の中に兵隊の蔭はちらほらで畔道を急いだ。・・・私達の部隊では被害は零であった。其の林を1粁進むと緩斜面の広場があって見なれた戦友の顔が集まっていた。今日の宿だった。竹もバナナの葉も少なく、天気の相談で小屋は作らないことにした。出来るだけ太い木の幹を選んで横に露出して伸びた根に身を託すことになる。〇〇兵団所属の女性が4、5人現れた。兵士の服装帽子を眼深にしていても、声ですぐ判った。弱々しい声で米の無心だった。私は背負篭の中を見て貰い彼女達の判断にまかせた。結局5勺の米も減っていなかった。私が女性の服を着ていたので男装の麗人達は戸惑ったことであらう。彼女達は焚火の仲間入りをした。幾日ぶりかであろう、彼女達はお米の飯に僅かながらでも、ありつけて喜んでいた。男は足を伸さないと寝られないが彼女達は木の根にうづくまる様にして背をもたして夜をあかせたのには驚いた。 |
証言者 | 草間登 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 毛利部隊の最期 一補充兵の手記 |
著者、公文書発信者など | 草間登 |
公文書宛先 | |
発行日 | 2003.11 |
発行所 | 私家版(横浜市) |
ページ | 431 |
出典備考 | 注:撤退中の出来事。女性が「慰安婦」かどうかは不明。慰安所がどこにあったかも不明。 |
備考 |
撤退中の出来事。女性が「慰安婦」かどうかは不明。慰安所がどこにあったかも不明。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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