出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 東京都 小笠原村 父島 |
資料にある地域情報 | 父島、扇浦の少し手前の谷間 |
慰安所があった時期 | 1942年 |
記載内容 | まもなく第1、第2小隊は、島の中央にあたる二子の東進公司の農場跡へ移った。ここは電気がなく、ランプだったので夜は早くねた。二子は扇浦から10分位のところで、高原状をして二子山の眺望あり、バナナの畑、タマナと呼ばれるテリハボクの林など広々としてよかった。・・・ 同じ父島から召集されてきた兵は、日曜日外出しても、6時には帰隊しなければならなかった。この兵たちは私は週番士官の時、特に10時まで延刻を認めてやった。扇浦の少し手前にある谷間に、慰安所が3軒ほど建って、20人近い慰安婦が来たというので一度見学してみた。小さなバラックの建物の前に慰安婦たちがたむろしていた。何か違和感がして2度と行く気がしなかった。師団の管理部の将校で、内地から来た妓たちを将校用、下士官兵用と選別する係があると、年をとった准尉が話していた。また慰安所がないと、元気のよい兵は、狂暴になって喧嘩ばかりするし、おとなしい兵は、神経衰弱になってメソメソしているといわれたが、本当かどうか、ともかく慰安所ができて、兵が外出してもひやかすところができて楽しみが、一つふえたわけであった。 |
証言者 | 山田清吉 |
証言者属性 | 少尉・第一小隊長 |
部隊名 | 第143要塞歩兵隊 |
資料タイトル | 武漢兵站 |
著者、公文書発信者など | 山田清吉 |
公文書宛先 | |
発行日 | 197812.25 |
発行所 | |
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出典備考 | |
備考 | 東京南方の小笠原村に父島がある。扇浦は父島の西海岸沿いにある。 |