出典種別 | その他 |
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現在の地域情報 | 東京都 文京区 白山 |
資料にある地域情報 | 石川区指ケ谷町 |
慰安所があった時期 | 1945年5月 |
記載内容 | 昭和20年の三回に亘る大空襲によって東京の紅灯地図は殆んど全滅した。そのころ、丸山福山町あたりに穴を掘っていた警備兵の慰安のため、慰安婦として仮営業をはじめた。それが昭和20年5月15日の許可が降りた白山接待所である。 第56号 命令書 住所小 石川区指ヶ谷町146 営業所 右同業態接待婦置屋氏名 秋本平十郎 今般接待所営業許可せられたるに就ては左記事項遵守すべし 右相達す 昭和20年5月15日 富坂警察署長 警視庁警視 段野義雄 命令事項(接待所・接待婦置屋) 一、接待所事務所の指令以外客との直接営業は為さざること 十一、接待婦をして月2回以上健康診断を受けしめ接待婦をして稼業中は之に関する証票を常時携帯せしむること 十四、接待所には衛生室を設け器具を常備し病毒伝播の防止に努むると共に遊客に対しても是が使用を勧奨すること |
証言者 | |
証言者属性 | 経営者 |
部隊名 | |
資料タイトル | 白山三業沿革史白山創立50周年記念 |
著者、公文書発信者など | 浪江洋二 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1961.6.20 |
発行所 | 雄山閣 |
ページ | 220-222 |
出典備考 | |
備考 | 小石川指ケ谷町は地名変更により現在は文京区白山1・2、4・5丁目である。 |