出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 福岡県 北九州市 門司区 |
資料にある地域情報 | 門司 |
慰安所があった時期 | 1944年11月 |
記載内容 | 本田一等通信士が門司港に着いたときは、もう午後3時をまわっていた。・・・本田一等通信士たちは、陸軍指定の船員寮清瀧荘に宿泊を命じられた。若い少尉は、ちょっとばつが悪そうに顔を赤くして注意を与えた。「貴官たちは、今日から一般地方人と違うのであるから、つぎの点を厳重に守られたい。一、宿舎を出るときは受付にそなえつけてある動静記入簿に行先、用件、帰投時間を記入すること。一、軍の緊急命令に応じられるように、環境をつねに整備しておくこと。ついでに言っておくが、慰安所は軍が指定したところに行くこと。サックはかならず使用して罹病せぬように衛生には充分注意すること。以上」・・・ 本田一等通信士たちは暗い街に出た。機関長の油気のない乾ききった手が、突然、本田一等通信士の手を握った。暗い中で振り向くと、機関長は力のない声で笑った。そして吐きだすようにいった。「なんや、指定のピー屋に行けだと、馬鹿にしくさりよって!」 |
証言者 | 細野耕三 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 砲煙の海へ シーマンたちの航跡 |
著者、公文書発信者など | 細野耕三 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1987.5.17 |
発行所 | 光人社 |
ページ | 52-53 |
出典備考 | |
備考 | 「今昔マップ on the web」によると門司港は今も当時も同じ場所にある。当時は門司市であったが、現在の行政区画は北九州市門司区である。 |