出典種別 | 兵士の回想録等 |
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現在の地域情報 | 長崎県 佐世保市 |
資料にある地域情報 | 佐世保 |
慰安所があった時期 | |
記載内容 | 上陸して遊ぶ相手はもちろん商売女で、大体に於て士官は芸者(料亭、待合)、兵員は娼妓(遊廓)というのが一般的であった。かつて佐世保に於ては一等水兵(兵長や上等水兵というもののなかった頃、兵の最上位)の春価調整法というのがあった。それは一等水兵が遊廓の値段を下げさせる運動の中核になっていたことを意味するものである。当時の兵員達の遊ぶ値段は1円50銭か2円であったのだが、それを遊廓側が2円50銭に値上げすると、一等水兵達が集まって会議をして話しあい、上陸員達が手別けして小佐世保の坂のあたりに立っていて、二等水兵以下が遊びに来ると呼びとめ「帝国軍人が女郎屋に行くとは何事か」と言って殴る。下士官が来ると「軍人が女郎屋に行く等ということは軍人の名誉に拘る事だと思いますが、どうですか」という意味のガリバン刷りを配ったりする。こんなことをされると遊廓に行く者がなくなる。そうすると遊廓が困って止むを得ず値下げをする。これを2年に1度くらい繰り返していたそうである。 |
証言者 | 瀬間喬 |
証言者属性 | 日本軍兵士 |
部隊名 | |
資料タイトル | 続・素顔の帝国海軍-旧海軍士官の生活誌- |
著者、公文書発信者など | 瀬間喬 |
公文書宛先 | |
発行日 | 1976.2.20 |
発行所 | 海文堂出版 |
ページ | 164-165 |
出典備考 | |
備考 |
現在の地図の伊万里市の西方の海岸沿いに佐世保市がある。「今昔マップ on the web」を見ると、佐世保湾の東方に小佐世保がある。この辺りに遊廓があったのであろうか。 ※日本軍慰安所マップの地点としては反映させていない。
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