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資料の詳細

出典種別 兵士の回想録等
現在の地域情報大分県 大分市
資料にある地域情報大分
慰安所があった時期1945年
記載内容昭和19年末頃には乗る船がなかった。大部分は敵にやられていた。だから海軍なのに海の上での生活は1日もなかった。その後、海軍航空隊の大分分遣隊へ転属になった。・・・ある時から701空隊の特攻隊が来た。特攻隊は特別扱い。毎日うまい物を食い、酒を飲んでゴロゴロしていた。・・・それらの特攻隊員は、夜に次々と飛んで行って帰ってこなかった。701空隊と言えば、どんなことでも通った。・・・少し女の話するか。部隊から免税券持って行くと、1回20円でアレができた。下士官や将校は電話でいい子を予約する。俺達はその残りよ。顔見ただけで帰ったこともあった。ある夜、イザ本番の時に警戒警報。女が俺の金持って逃げて行った。
証言者星野荘蔵
証言者属性日本軍兵士
部隊名海軍航空隊の大分分遣隊
資料タイトル戦争聞き歩き 生きてます
著者、公文書発信者など阪野吉平
公文書宛先
発行日2004.7.1
発行所新風舎
ページ418-419
出典備考
備考 大分航空隊は戦後、大分空港として整備されたが、国東半島に新空港が整備されたため、旧空港は廃止され現在痕跡をとどめていない。「今昔マップ on the web」の1973年の大分市の地図を見ると、大分川と裏川に囲まれた島のような地区があるが、その北端に「空港跡地」と記載されている。現在の地図の大洲体育館があるところで、同体育館の位置が旧空港の中心地であった。ここに旧・大分海軍航空隊基地があった。本資料では大分分遣隊に転属になっているが、分遣隊の位置は直接関係がない。701空隊(特攻隊)はこの大分海軍航空基地から発進して行った。現在「空港跡地」に「神風特別攻撃隊発進の地」の碑がある。この基地の近くに慰安所があったと思われる。ちなみに『全国遊廓案内』によれば大分県には4つの遊廓地があった。大分海軍航空隊基地から最も近い遊廓は「大分港遊廓」である。この位置は当時の大分市大分港町で、西大分駅付近(当時の函萏港、1973年の地図では大分港と統合されている)と推測されるが、この遊廓であったかは不明。
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